|
ゴールドラッシュの夢の跡 |
1897年1月まではドーソンの家の数はたったの5軒でしたが、クロンダイクゴールドラッシュの地へ行こうとアラスカのサークルシティーを捨て、雪の中を400km歩いてきた人達で急速に発展していきました。春までに、人口は約1,400人になりました。
ゴールドラッシュで稼いだ工夫達を相手にする酒場では、たった1個の卵でも$1で売られ、シャワーが5分間で$1.50、一晩あたりのコストは$50にもなりました。6月にバーテンダーのハリー・アッシュはノーザンサルーンを開き、初日には$30,000の売上げがありました。それ以降は平均$3,000の売上げがありました。彼は$100,000稼ぎ、3ヵ月後には立ち去りました。夏の終わりまでには10軒の酒場が営業していて、ダンスホールの少女達が一晩で$100稼いでいました。
夏の終わりまでには3,500人がドーソンに移ってきていました。その集落は泥だらけの通りに多数の建物が並び、テントが適当に張られているだけのものでした。ユーコン川の向こう側の他の集落は公的にはクロンダイク市として知られていたが、ロウスタウン(シラミの町)というニックネームがつけられていました。ここもまた発展し、ここをキャンプ地として利用していた先住民を強制退去させていました。
その後1898年春には鉱夫の大多数はトレイルオブ98のいろいろなルートをたどってやってきました。鉱夫と一緒にドーソンで一儲けしようとする起業家もやってきました。1898年5月27日街で最初の新聞‘クロンダイク ナゲット’が発行されました。
ドーソンの建物の敷地は$40,000で売られ、一人部屋は1ヶ月$100で貸し出され、ログキャビンは$400もしました。これと比較すると、当時ニューヨークの4部屋あるアパートでは月$120でした。
ドーソンはウィニペグより西で最も大きい都市として、またサンフランシスコより北で最も大きい西部の集落としての地位を確立し、1898年7月1日自治記念日(旧カナダデイ)を祝いました。電話や水道の設備も整っていました。 銀行が2つ、発行部数を競い合っている新聞社が2社、教会は5つ、製材工場は12、酒場とダンスホールは更に増えつづけていました。その中でもグランドパレスは2200人収容できる広さがありました。
約16,000人がドーソンに、クリークの近くには約15,000人が住んでいました。ゴールドラッシュと関わりのあるアメリカの他の新興都市は、手に負えないほどの危険な場所となっていました。しかし、北西騎馬警察の存在が、治安を維持させました。1898年にはドーソンでは1件の殺人事件もなく、窃盗もほとんどありませんでした。これはピストルなどの武器を所持することを禁ずる法律があったからでしょう。1898年には545,000リットルの酒が鉱夫、ドーソン市民の間で消費されていたにも関わらず、街の治安は保たれていました。当時ユーコンはノースウエスト準州の一部で、酒税はドーソンが支払っていました。財源を心配したオタワは連邦の行政管理を条件に別の準州を設立することにしました。1898年6月13日、新しい準州が誕生し、ドーソンがその最初の州都となりました。ドーソンが“北のパリ”と呼ばれるようになってすぐ、その幸運は傾き始めていました。 1898年の間に金鉱のほとんどが所有され、すでにそれらのいくつかは使い物になりませんでした。クロンダイクまで来ていた40,000人を超す鉱夫達にとって、新しい金の所有権を主張し、それによって大金持ちになるチャンスはほとんどなく、既に発見された金鉱を買い占めるには高すぎました。
その年の春にアラスカのノームの海岸で素晴らしい金が発見されました。8,000人以上の人はドーソンを離れ、新しいゴールドラッシュの地ノームへ向かっていきました。
下水道管が整備され、通りは改善され、家は丈夫な材質で建てられました。殆どの酒場は人気がなくなり、ミニバーを家に作る人が増えてきました。ドーソンは採鉱の街として栄え続けましたが、砂鉱採鉱と言うよりも進歩した採鉱の技術が基礎となっての繁栄だったようです。1902年にはドーソンは一つの市として成立しましたが、人口は1,000人以下になりました。多数の家や商売が閉鎖され、所有者は二度と戻ってきませんでした。しかし、ドーソンは依然として人口の激減にも関わらず利益を得ていました。
1911年ドーソン周辺の金採掘活動はかつてないほどでしたが、1914年の第一次世界大戦の勃発により殆どの鉱山は閉鎖されました。鉱山は1930年代半ばまで閉鎖され、金の値段が高くなった時、小さなブームを引き起こしましたが、金採掘のための最後の浚渫機(水底の土砂や岩石を掘り上げる)が1952年に閉鎖されました。翌年、ユーコン準州の州都はホワイトホースへ移されました。
1950年代後半までに、多くのドーソンの歴史的建物は最悪な状態で放置され、今にも崩壊しそうなほどでした。1960年パークスカナダはグランドパレス劇場を再建しました。それ以来パークスカナダはクロンダイク国立史跡計画の一部として多数の建物を修復しました。 約60,000人が夏にドーソンを訪れ、世界的にも有名なゴールドラッシュの夢の跡を体験しています。
ゴールドラッシュ時代やドーソンの社会史の展示はドーソンシティー博物館歴史協会ビルで見ることができます。またいくつかの クロンダイク国立史跡のビルや家なども展示されています。川岸では汽船‘Keno’(ユーコンとスチュワート川を往復していた最後の船尾外輪船)も見ることができます。 |